2023年7月、ALSで全身が麻痺したケイシー・ハレルの脳に256個の電極が埋め込まれた。最初の22.6カ月で自宅利用は3,800時間を超え、発話の精度はいまや99%に達している。
ALSで奪われた会話を、脳インプラントが取り戻す
ALS(筋萎縮性側索硬化症)で全身が麻痺し、声まで失いかけていた男性が、脳に埋め込んだ装置で再び文章を「話せる」ようになった。鍵を握るのは、脳コンピュータインターフェース(BCI)と呼ばれる技術だ。
主役はケイシー・ハレル。米国の環境活動家で、診断を受けた当時45歳だった。ALSは筋肉を動かす力を少しずつ奪う進行性の病で、彼はやがて車いすの操作も着替えも食事も他人に頼るようになった。話しても聞き取ってもらえない。そんな日々が続いていた。
転機は2023年に訪れる。米カリフォルニア大学デービス校の脳神経外科准教授デビッド・ブランドマンらが、コミュニケーションを助ける脳インプラントの試験への参加を打診した。「この分野は大きな変革の入り口にあった。その一部になりたかった」とハレルは振り返る。彼は迷わず手を挙げた。
脳の信号を言葉に変える、39の音素という鍵
仕組み自体はシンプルだ。発話をつかさどる脳領域の活動を読み取り、まず音の最小単位である「音素」に変換し、そこから単語を組み立てる。
2023年7月、5時間に及ぶ手術で、医師たちは64個の電極を束ねた配列を4枚、ハレルの脳に埋め込んだ。電極の総数は256個。頭蓋の外側には、コンピュータとつなぐ接続点が2カ所設けられた。
「アメリカ英語のすべての音は、39個の音素でできている」と、チームのニコラス・カードは説明する。それぞれの音素を出すときの神経活動を地図のように対応づければ、本人専用の「発話デコーダー」がつくれる。脳のデータから音素へ、音素から単語へ。MIT Technology Reviewが報じたこの二段構えが、解読の核心にある。
効果は使い始めた初日から表れた。手術の約1カ月後、ハレルは50語の語彙で「話し」、その99.6%が意図通りだったという。語彙はやがて12万5,000語まで広がり、精度も97.5%を保った。
研究室を出た技術が、生活の道具になる
この装置が単なる実験で終わらない理由は、ハレルがほぼ独力で日常的に使いこなしている点にある。
かつては研究チームが自宅を訪ね、使う日のたびに装置を接続していた。いまは違う。システムの多くが自動化され、介助者が装着と取り外しをこなせる。「彼は朝起きて、つないで、すぐに動き出す」と、神経工学者のセルゲイ・スタヴィスキーは言う。
精度は現在99%に達した。ハレルはカーソルも操れるようになり、自分のパソコンでメールやメッセージを送り、ウェブを見て、環境活動家としての仕事まで続けている。装置を埋め込んでから22.6カ月で、研究者が立ち会わない自宅利用は3,800時間を超えた。この成果は医学誌『ネイチャー・メディシン』(Nature Medicine)に報告されている。
試験に関わっていないユトレヒト大学医療センターのBCI研究者マリスカ・ヴァンステーセルは、この点を重視する。「技術が患者にとって意味を持つには、実際に使われる環境で試す必要がある。研究チームが常に付き添わなくても機能すると示すことが大事だ」。スタヴィスキーの言葉はもっと端的だ。ハレルは「発話BCIの最初のパワーユーザーだ」。
次の目標は、感情まで宿る「本物の声」
研究チームの次の狙いは、抑揚や感情まで再現する「脳から声へ」の直接変換だ。
いま装置が生むのは、いわば合成された言葉にとどまる。チームが目指すのは、自然な抑揚やイントネーションを備え、うれしさも怒りも皮肉さえもにじむ「本当の声」を、脳活動から直接つくり出すことだという。「我々は決して満足しない」と彼らは語る。
「ALSとともに生きると、夢は小さくしぼむものだとされている。でも私は違う」とハレルは言う。「ひとつでも実現すれば天の恵みだ。それがすべて叶い、さらに多くが続いている。まさに革命的だ」。控えめに自分への効果を期待していただけの彼は、「これほど達成できるとは、想像もしなかった」と続けた。
電極が読み取るのは、麻痺した筋肉ではなく、話そうとする意志そのものだ。その意志がいつか、怒りや皮肉まで宿した声になって響く日が来るのかもしれない。





