ワールドカップ2026の米国会場では、出場する10のスタジアムすべてで企業の命名権が一時停止される。シアトルの会場は約1億6,300万ドルで買った名前を、大会期間中だけ手放した。
ワールドカップでスタジアムの命名権が一時停止される仕組み
大会を運営するFIFAが、開催スタジアムを「商業性のない名称」に改称する権利を握っているからだ。スポンサー名は契約上、大会期間中はいっさい表に出せない。
ニュージャージー州イーストラザフォードにある、保険大手メットライフの名を冠したスタジアム。その壁面の大きなロゴは、いま「World Cup 2026」と書かれた看板で覆われている。会場の呼び名も「ニューヨーク・ニュージャージー・スタジアム」に変わり、グーグルの地図検索でもその名前で表示される。テキサス州アーリントンでは、通信大手AT&T(エーティーアンドティー)のロゴを屋根から隠すため、作業員が大きなシートを張る様子が目撃された。
米ビジネス誌ファストカンパニーが報じたスタジアム契約書によれば、FIFAは開催会場を「スポンサーや所有者に言及しない、適切と判断した非商業的な名称」に改称できる。つまり大会中の広告枠は、すべてFIFAが握る。世界最大のスポーツイベントに自社ブランドを出したいなら、別途お金を払うしかない。タダ乗りは許されない。
1億6,300万ドルの看板が、青いシートに覆われる
マーケターにとって、これほど歯がゆい話はない。世界が注目する数週間に、巨額を投じた露出効果がそっくり蒸発するからだ。
シアトルの会場は、その典型だった。米通信大手ルーメンは2017年、この競技場の15年分の命名権を約1億6,300万ドルで購入した。だが大会期間中は「シアトル・スタジアム」と呼ばれ、ロゴはあらゆる面から剥がされている。「自慢のひとつは、とにかくどこにでもうちのロゴがあることなんです。屋根も、大型スクリーンも、座席も、ゴミ箱の一つひとつにまで」と、同社で戦略とマーケティングを統括するライアン・アスドゥリアンは語る。ワールドカップ中の扱いを問われると、彼はあっさり認めた。「出しません。それが契約ですから」
それでも各社は、消える前のわずかな話題づくりに動いている。ルーメンはロゴ撤去をネタにしたプロモーション動画を公開した(実際の撤去作業は外部企業が担うと、担当役員は明かしている)。一方アトランタでは、高級車ブランドが抜け道を見つけた。開閉式の屋根に組み込まれた一つのロゴだけは、構造を壊さずには外せない。だから、そこだけは残ったという。
消えた企業名は、いつか必ず戻ってくる
この「無名化」は一時的なものにすぎない。命名権は数週間ではなく数十年単位の長期投資であり、覆い隠されたロゴはいずれすべて元に戻る。
米国のスタジアムが企業名を背負うようになったのは1990年代からだ。いまでは四大プロスポーツリーグが使う競技場の4分の3近くが、金融・食品・航空・通信・保険・ITといった企業の名を冠する。命名権ビジネスが成熟するほど、こうした大型イベント向けの「ブランド外し」条項も契約に組み込まれていった。
皮肉なことに、地名に戻った呼び名は、海外から訪れるサッカーファンにはむしろ親切かもしれない。カミソリやジーンズのブランド名がついた競技場の場所はわからなくても、「ボストン」や「ベイエリア」なら地図で指させる。そして私たちにとっては、広告で埋め尽くされる前の街を思い出させる、少しなつかしい眺めでもある。覆われたシートの下で、企業名は静かに再登場の時を待っているのかもしれない。





