ポール・ラッド演じるウェディングシンガーが書いたたった1曲のバラードを、ニック・ジョナス演じるポップスターが盗んでヒットさせる。『Once ダブリンの街角で』『Sing Street シング・ストリート』のジョン・カーニー監督が2026年に放つ音楽映画だ。
ウェディングシンガーの1曲が盗まれるまで
酔った夜に聴かせた未完成のバラードが、数か月後にポップスターの名義でリリースされる。映画『Power Ballad(パワー・バラッド)』はその1曲をめぐる物語だ。
アイルランドで暮らすリック・パワー(ポール・ラッド)は、結婚式で歌うバンドのシンガーだ。かつてはポップバンドでレコード契約を結びツアーも経験したが、今はウェディングシンガーとして生計を立てている。統計的に言えば、ほとんどのバンドは生涯で1曲もヒットを出せない。ウェディングバンドで食べていけること自体、十分な成功と言える。
ある結婚式で、元ボーイバンドのメンバーでソロデビューを目指すダニー・ウィルソン(ニック・ジョナス)と意気投合する。一晩中飲みながら音楽を語り合い、リックは未完成のバラード「How To Write A Song Without You」を聴かせた。数か月後、ショッピングモールで流れてきたのはまさにその曲だった。ダニーがブリッジ(曲の転換部)を書き足し、自分の曲としてリリースしていた。リックが抗議しても、マネジメントを通じてすべてを否認される。曲を書いた証拠は、どこにもない。
「盗作」の代償は金銭ではない
米公共ラジオNPRのレビューが指摘するように、この映画の核心は権利や金銭の問題ではない。リックが何十年も音楽を続けながら、自分に才能があるという「確かな証拠」を一度も手にできなかった点にある。
突然、不完全だが否定しがたい指標が目の前に現れる。自分が書いた曲を、大衆が愛している。クレジットを求めることは「器が小さい」と見られがちだ。だがクレジットを奪う側は、その何倍も卑劣だ。
ダニーは悪人というより臆病者として描かれる。パブリックイメージが悪化し、悪徳マネージャー(ジャック・レイナー)に契約解除をちらつかされる中、恋人のマーシャ(ハヴァナ・ローズ・リウ)がリックの曲を彼の新曲だと勘違いして絶賛した。その嘘を正す勇気が出ない。脚本が巧みなのは、ダニーが実際にブリッジを書き足しているという事実を盛り込んでいる点だ。完全な盗作ではない。だからこそ事態はさらに複雑になる。
ジョン・カーニー監督は『Once ダブリンの街角で』(2007年)や『Sing Street シング・ストリート』(2016年)で、音楽と人間の結びつきを描いてきた。金や名声とは無縁の、音楽そのものの喜びを扱った作品だった。『Power Ballad』ではその視点を反転させ、「クレジット」という一見俗な問題の奥にある芸術家の尊厳を掘り下げている。
AI時代に響く「自分の頭から生まれた曲」の価値
この映画はAIについての作品ではない。だが2026年の観客にとって、その含意は鋭く刺さる。
ダニーは盗んだ曲で商業的成功を手にした。だがステージに立つたびに、その曲は空虚に響く。自分が書いた曲ではないと知りながら、自分の曲として歌い続けるしかない。曲の本当の意味さえ、彼には見えていなかった。ソングライターが持つもの──自分の頭と心から生まれたという確信──は、どれだけスタジアムを埋めても手に入らない。
他人の曲を盗んでも満たされないなら、人間が書いてすらいない曲で満たされるはずがない。映画はAIを一度も名指ししないまま、生成AI時代の創作における本質的な問いに答えを出している。良い曲は自分から生まれなかったとしても、少なくとも「誰か」から生まれた。誰かがその制作に心を砕いたという事実が、曲に重みを与えている。





