2026/05/19
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1日5万曲のAI楽曲がストリーミングを侵食、各社の対応が定まらず

1日5万曲のAI楽曲がストリーミングを侵食、各社の対応が定まらず

テキストひとつで「作曲家」になれる時代

AIと音楽の関係は、もともと実験的な領域から始まった。2018年にターリン・サザンがリリースした『I AM AI』、翌2019年のホリー・ハーンドンによる『Proto』は、いずれもAIの力を大きく借りて制作されたアルバムだ。グーグルのMagentaなど研究用ツールを使い、独自のモデルを訓練するアーティストもいた。だが当時、こうした試みはあくまで技術に精通した一部のクリエイターだけのものだった。

状況を一変させたのが、2023年12月に登場したSuno、そして2024年4月にリリースされたUdioだ。どちらもテキストプロンプトを入力するだけで、メロディ、伴奏、ボーカルまで含んだ楽曲を数分で生成できる。専門知識は不要で、インターネット接続さえあれば誰でも使える。音楽制作の敷居は、文字通り「言葉を打つ」レベルまで下がった。

アップロードの3割超がAI製という現実

その結果は、数字に如実に表れている。フランス発のストリーミングサービスDeezerは、2025年9月時点でアップロード楽曲の28%が完全なAI生成だったと報告した。同年末には1日あたり5万曲以上がAI製となり、全アップロードの34%を占めるまでに膨らんだという。

この規模は、人間のアーティストにとって深刻な問題をはらむ。プレイリストのアルゴリズムは再生数やリスナーの行動パターンで楽曲を選ぶため、大量のAI楽曲が流入すれば、人間が作った音楽の露出機会は相対的に減る。アーティストやリスナーの双方から不満の声が上がっているのは、当然の帰結だろう。

禁止も歓迎もしない「曖昧な中間地帯」

では、プラットフォーム側はどう動いているのか。The Vergeのテレンス・オブライエン記者が指摘するように、各社の姿勢は「禁止しない。かといって歓迎もしない」という曖昧なものだ。

完全な禁止は現実的ではない。AIをツールとして部分的に使う人間のアーティストと、全自動で量産されたトラックの境界は曖昧で、線引きの基準を設けること自体が難しい。一方で、無制限に受け入れればプラットフォームの品質が下がり、課金ユーザーの離脱につながりかねない。どちらに振っても損をする構造のなかで、各社は明確な方針を打ち出せずにいる。

「不完全さ」が武器になる可能性

ただし、この状況を悲観一色で捉える必要はないかもしれない。写真の世界では、デジタルカメラとスマートフォンの普及で「誰でも撮れる時代」が到来したあと、むしろフィルム写真やアナログプリントの価値が再発見された。音楽でも、人間ならではの息遣いや感情の揺れ、ライブ演奏の一回性といった「不完全さ」に、新たな希少性が生まれる余地がある。

SunoやUdioのようなツールが音楽制作の民主化を進める一方で、リスナーの耳は「誰が、なぜ、この曲を作ったのか」という文脈をより強く求めるようになるだろう。1日5万曲のAIトラックが積み上がるプラットフォームの片隅で、人間の手が震えながら録った一本のテイクが、かえって鮮烈に響く——そんな逆説が、静かに芽を出しつつあるのかもしれない。