JD.comは江蘇省宿遷市で最終60万人を動員し、2年間で1000万時間のロボット訓練データを収集する計画だ。データ収集の時給は約20元(300円)と低く、海外外注に依存する米国モデルとのコスト差が際立つ。
ロボットが「家で学ぶ」理由
現実の家庭でしか得られないデータが、ロボット開発の次の壁を突破する鍵になる。工場内で同じ動作を繰り返す従来の「テレオペレーション」訓練では、素材・形状・配置がバラバラな実際の住環境には対応できない。
深圳のX Square Robotが開発した人型ロボットは、Rest of Worldの取材で北京のアパートに招かれ、3時間かけて衣類3枚を畳んだ。動作は遅く、家事の大半は同行した家政婦がこなしたが、目的はデータ収集だ。招待した住民のダニエル・ワンは149元(約2,200円)を支払い、「物理AIに少し貢献できた気がする」と語った。
解決策として業界が今注目するのが、人間の目線から手元の動きを撮影した「エゴセントリックデータ」だ。洗濯・料理・工場での組み立てなど、人間が日常こなす動作を実際の環境でそのまま記録する。今年に入り、実際の家庭・小売店・工場でのデータ収集が世界的に加速している。
JD.comが60万人を動員する仕組み
JD.comが実現しようとしているのは、家庭・農場・高齢者施設の住民が日常の動作をカメラで撮影するだけで報酬を得られる「データ収集専用地区」の仕組みだ。自社従業員10万人に外部ワーカー50万人を加えた60万人規模を目指し、創業者リチャード・リウの故郷である江蘇省宿遷市の地方政府と連携して参加者を集めている。
同社は自社の物流・倉庫ネットワークの従業員もデータ収集に転用できる体制を整えており、このプログラムを「地域住民の副収入創出」としても位置づける。近隣の高齢者施設やキウイ農場の従業員も、頭部装着カメラで作業を記録する要員として参加している。
工場でのデータ収集も広がっている。製造業の集積地・広東省の2社のデータベンダーが、電子部品・梱包工場数十社の従業員に頭部カメラと手首センサーを装着させている。参加に難色を示す工場オーナーもいるが、あるサプライヤーは「訓練済みロボットがいつかここで働く」という長期的な利益を説いて参加を促す。
低コストの「地産地消」が米国に差をつける
米国のロボット企業は高い人件費を避けてデータ収集を海外に外注してきた。一方、中国企業は国内の低コスト労働力と政府支援を使い、データを地元で大量生産できる。これが構造的な競争優位だ、と市場調査会社Interact Analysisのロボットアナリスト、マルコ・ワンは指摘する。「AIタレントやモデル研究では米国がリードしているが、ハードウェアとデータエコシステムでは中国が先頭に立っている」と彼は言う。
中国国内で収集したデータは、中国の家庭環境に最適化したロボット開発にも直結するとみられる。米国の外注データが多様な世界環境を反映するのに対し、中国企業のデータは自社市場に適応している点で一歩先を行く可能性がある。
ただし、大量データがそのまま「知能」に変換されるかは未証明だ。オレゴン州立大学のロボット工学教授アラン・ファーンは、大規模言語モデルのスケーリング則をロボットに応用する発想を「突飛ではないが、非常に未証明だ」と述べる。
「料理と洗濯でお金をもらえる」が現実になった
ロボット訓練データの需要拡大が、これまで収入を得づらかった層に新たな仕事を生み出している。山東省に住む50代の専業主婦、ガオ・ボーは1日6時間、自分が家事をする様子を撮影している。時給20元(約300円)で、10代の息子の育児と両立できる数少ない仕事だという。「料理や洗濯でお金をもらえるなんて、これまでなかった」と彼女は語った。
彼女のアパートは毎日の繰り返し清掃で今や隅々まで清潔だ。中国の失業率が上昇するなか、こうしたデータ収集業務は新たな収入源として静かに広がっている。
山東省の主婦の手の動きが北京のロボットを育てる時代が、静かに幕を開けつつあるようだ。





