値札は「小さな新聞」である
ガソリンスタンドの前を通りかかり、価格が上がっていることに気づく。中東の紛争が原油輸出を滞らせているのか、夏のドライブ需要が増えたのか、あるいはその両方か。マヤシはFast Companyに掲載された新著の抜粋で、価格を「小さな新聞」にたとえている。
需要と供給に影響するあらゆる要因が、たった一つの数字に凝縮される。消費者はその背景を知らなくても、価格が高ければ消費を控え、企業は供給を増やそうとする。誰かが指揮しているわけではない。価格という情報伝達装置が、世界経済の複雑な調整を自律的に行っている。
この仕組み自体は経済学の基本だが、マヤシの指摘は日常感覚に寄り添う点で新鮮だ。私たちが「経済がわからない」と感じるのは、まさにこの情報圧縮のせいかもしれない。一つの数字の裏に、地政学から天候まで無数の変数が隠れているからだ。
テクノロジーは仕事を消さず、仕事を変える
1970年代、銀行がATMを導入し始めたとき、銀行窓口係(テラー)は消滅すると予想された。ところが米国のテラー数はその後何十年も増え続けた。ATMが代替したのは業務の一部にすぎず、テラーは空いた時間でクレジットカードの提案やファイナンシャルアドバイザーの紹介に注力するようになったという。さらにATMのおかげで支店の運営コストが下がり、銀行はむしろ支店数を増やした。
この「タスクの自動化は職業の消滅ではない」という視点は、AI時代にも示唆が大きい。生成AIがコードを書き、文章を要約し、画像を作る今、多くの人が自分の仕事の行方に不安を抱える。しかしATMの教訓に従えば、消えるのは仕事そのものではなく、仕事の中身だ。移行期の痛みは避けがたいが、新しい機会も同時に生まれる。
一方で、テクノロジーは「勝者総取り」の構造も強めている。ストリーミング以前、歌手の収入格差は限定的だった。ライブで聴くしかなかったからだ。だが今やテイラー・スウィフトやバッド・バニーのアルバムは世界中で再生される。トップは数百万ドルを稼ぎ、「非常に上手い」レベルの歌手には副業が必要になった。この力学は音楽に限らず、多くの業界に広がっている。
モノは安くなり、人の手は高くなる
ミステリー作家アガサ・クリスティが1910年代に子育てを始めたとき、住み込みの使用人と乳母を雇っていたが、自動車は「想像もできない贅沢品」だったと書き残している。現代はその逆だ。車を持つ人は多いが、住み込みの家事手伝いは贅沢の極みになった。
テクノロジーとイノベーションがモノの価格を押し下げる一方で、経済成長は労働コストを引き上げる。散髪、保育、コンサートといったサービスの価格が上がり続ける理由はここにある。米国では保育料が年間約1万1,000ドルに達しており、マヤシはこれを「経済が成長している証拠」と位置づける。ただし、その負担を直接感じる親にとっては皮肉な話だろう。
アーティストが生計を立てにくいのも同じ構造による。作品はデジタル化で複製コストがほぼゼロになるが、制作に費やす時間の価値は上がり続ける。経済学で「ボーモルのコスト病」とも呼ばれるこの現象は、経済の予測不能感を増幅させる一因だろう。
「場所の力」が教えること
経済学の最近の発見で注目されるのは、「アメリカンドリームは死んでいない。ただし均等に分配されていない」という事実だ。貧困層から中流に上昇した家庭を調べると、特定の都市や地域に集中していた。共通点は、階層を超えた人間関係——社会関係資本——が豊かな場所だったという。
シリコンバレーにテック企業が、ニューヨークに広告代理店が、ハリウッドに映画産業が集まるのも「集積効果」と呼ばれる同じ原理だ。パンデミックでリモートワークが急速に広まり、多くの人がその効率に驚いた。しかし結果的に、大多数はオフィスに戻っている。場所が持つネットワーク効果は、ビデオ会議では代替しきれないようだ。
マヤシの5つの視点は、経済を「予測するもの」ではなく「観察するもの」として捉え直す枠組みを提供する。値札を読み、テクノロジーの影響を仕事単位で考え、サービス価格の上昇を成長の副産物と理解する。そうした視点を一つでも持っておけば、明日の経済ニュースの読み方は少し変わるかもしれない。





