2026/05/25
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ジョプリン竜巻から15年、10万人が再建した街でいまも続く「利他行動の連鎖」

ジョプリン竜巻から15年、10万人が再建した街でいまも続く「利他行動の連鎖」

風速90メートル、幅1.2キロの爪痕

2011年5月22日、米ミズーリ州ジョプリンを複数の渦を持つ巨大竜巻が直撃した。風速は約90メートル、幅は約1.2キロ。米国史上最も死者の多い竜巻の一つとなり、約160人が犠牲になった。人口の3分の1が住居を失い、街の広範囲が瓦礫で埋まった。

住民のナンダ・ナネリーは、週末の外出から帰宅した直後に竜巻に遭遇した。空は不気味な緑色に染まり、サイレンが鳴ると同時にクローゼットに飛び込んだ。「あまりに大きな音で、逆に静寂だった」と彼女は振り返る。

だが数週間後、全米から約10万人のボランティアが駆けつけた。瓦礫の撤去、住宅の再建、避難所の運営。コロンビア大学の災害研究チームが半年後に調査したところ、復興方針をめぐる政治的対立はほぼ確認されなかったという。翌秋には学校が予定通り再開した。

スタンフォード研究者が名づけた「カタストロフィ・コンパッション」

この現象に学術的な輪郭を与えたのが、スタンフォード大学社会神経科学研究所のジャミール・ザキ所長だ。ザキはこれを「カタストロフィ・コンパッション(災害の思いやり)」と呼ぶ。災害が発生すると、見知らぬ人同士の間に強烈な共感と協力が生まれ、それまでの社会的障壁を一気に乗り越える現象を指す。

「災害後、人は自分のことだけに集中してバラバラになるのではなく、互いのために何かしようと集まってくる」とザキは語る。

普段、人間は「保守」「リベラル」「キリスト教徒」といったカテゴリで自分を分類し、その枠が他者との距離を生む。しかし竜巻のような災害に直面した瞬間、そこにいた全員が「生存者」という一つの集団に統合される。「選んで入った集団ではないが、非常に強い絆で結ばれる部族のようなものだ」とザキは言う。

災害は「弱肉強食」を引き出し、略奪や犯罪が横行するという通念は根強い。だがザキの研究は、それが誤解であることを繰り返し示してきた。ジョプリンでは、赤十字の避難所を運営したダレン・フラートンが象徴的なエピソードを語る。牧場主がボランティアのためにステーキを焼き、自宅を失った大学の学部長が避難所でベッドを並べ、誰かがピエロに扮して子どもにバルーンアートを配った。「あらゆる場所から人が湧いて出てきた」とフラートンは振り返る。

日本も地震・台風・豪雨と自然災害が絶えない。東日本大震災後の秩序ある避難行動や、被災地に全国から集まるボランティアの姿を思い出せば、「災害コンパッション」は遠い概念ではないだろう。

「死ぬかもしれない」が書き換える優先順位

ナネリーが竜巻の最中に死を覚悟したとき、脳裏に浮かんだのは家族の顔ではなかった。中学時代にいじめた同級生の顔だったという。

「あの子に謝れないまま死ぬのかと思った」

生き延びた後、ナネリーはフェイスブックを通じてその同級生に長い謝罪のメッセージを送った。5年後にジョプリンに戻ると、地域のコミュニティセンターの理事に就任し、極端な気象時にホームレスの人々を受け入れる活動を始めた。研究者はこうした変化を「苦しみから生まれる利他行動」と呼ぶ。深い苦しみを経験したからこそ、他者の痛みに共鳴し、行動に移す力が生まれるという考え方だ。

当時の副市長メロディー・コルバート=キーンは、復興が住民を「サイロ」から引き出したと表現する。「何色の肌か、共和党か民主党かは関係なかった。目の前の必要を、できる限りの方法で満たそうとした」と彼女は語る。

ジョプリンでは竜巻から15年が経ったいまも、地域のボランティア活動が活発に続いている。善意は一過性の感情ではなく、適切な土壌があれば根を張り、世代を超えて広がりうる。災害の多い社会にとって、その「土壌づくり」は、堤防やシェルターと同じくらい価値のある投資かもしれない。