2026/05/25
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「子どもの頃は母の優しさが嫌いだった」ケニア出身の米大学教授が語る思いやりの連鎖

「子どもの頃は母の優しさが嫌いだった」ケニア出身の米大学教授が語る思いやりの連鎖

来客のたびにお茶を出す「義務」

イリノイ大学で昆虫学とアフリカン・アメリカン研究を教えるエスター・ングンビは、ケニアで4人のきょうだいとともに育った。母バーサは、予告なく訪ねてきた見知らぬ人にも必ず紅茶をふるまい、食事時に現れた客には自分たちの食卓に席を用意した。

子どもたちにとって、それは歓迎すべき美徳ではなかった。客が来るたびに食事を中断してお茶を準備させられ、食べ物は人数で割られて減る。妹のフェイスは、雨で薪が湿った日に湯を沸かす苦労を今でも覚えているという。NPRに寄せたエッセイでングンビは「幼く自己中心的だった私は、まったく幸せではなかった」と率直に振り返る。

祖母から母へ——「バスケチームと控え選手」の食卓

ングンビはある日、母に電話をかけて尋ねた。「あの優しさはどこから来たの?」

答えは明快だった。バーサ自身も、同じ経験をして育っていた。9人きょうだい(母いわく「バスケットボールチームと控え選手」)の家庭で、学校から昼食に帰ると、通りすがりの旅人に食事を与えてしまった祖母のせいで何も残っていないことがあった。子どもたちは泣き、代わりにバナナを買う小銭をもらったり、近所のサトウキビ畑から食べ物を調達したりした。

つまり、バーサの「過剰な」親切は突然変異ではなく、少なくとも二世代にわたる家庭文化だった。祖母が見知らぬ旅人に差し出したサツマイモが、母の紅茶のもてなしへ、そしてングンビ自身の行動へと形を変えて受け継がれている。

「迷惑だと知っていても変えなかった」

ングンビが母に「私たちが不満だったと知っていたか」と尋ねると、バーサは知らなかったと答えた。だが続けてこう言った。「知っていたとしても絶対に変えなかった。何度でも同じことをする」。

この揺るぎなさは、単なる善意ではなく信念に近い。「私が助けられるのに、なぜ誰かを空腹のままにしておけるのか」という母の言葉には、損得を超えた倫理観がある。興味深いのは、ングンビがこの価値観を「理解した」のが、ケニアを離れて米国で暮らすようになってからだという点だろう。距離と時間が、幼少期の苛立ちを感謝に変えた。

思いやりは「教える」より「見せる」もの

現在のングンビは、きょうだいの子どもたちや見知らぬ人を助けることに加え、庭に来る鳥にまで餌をやる。母はその鳥の餌やりだけは理解できないらしい——文化が変わっても、優しさの衝動だけは確実に伝わったようだ。

心理学では「利他行動の世代間伝達」として知られる現象がある。親の行動を見て育った子どもは、言葉で教えられるよりも強くその価値観を内面化するとされる。バーサが子どもたちに「優しくしなさい」と説教した記録はない。ただ毎日、来客に茶を出し続けただけだ。ングンビの家族三世代は、その静かな実践が言葉よりも遠くまで届くことを示しているのかもしれない。