膵臓がんの経口新薬ダラクソンラシブ(daraxonrasib)は、500人規模の第3相試験で生存期間の中央値を13.2カ月に延ばした。化学療法群の6.7カ月と比べ、ほぼ2倍の延命効果を示している。
なぜ膵臓がんは「創薬不能」だったのか
膵臓がんの90%以上で腫瘍増殖を駆動するKRAS変異タンパク質は、薬剤が結合しにくい構造を持ち、数十年にわたり治療標的として手が出せなかった。
膵臓がんが「最も手強いがん」と呼ばれる理由は、発見の難しさだけではない。他の多くのがんでは化学療法に代わる選択肢が次々と登場してきたが、膵臓がんではKRASという共通の弱点を突く薬を誰も作れなかった。RAS遺伝子ファミリーに属するこのタンパク質は、正常な細胞では増殖を制御する役割を担う。だが変異を起こすと暴走し、がん細胞の増殖を止められなくなる。
問題は、変異KRASの表面が滑らかで薬剤分子が「引っかかる」場所を持たないことだった。創薬の世界では、こうした標的を「undruggable(創薬不能)」と呼ぶ。膵臓がんの5年生存率はわずか13%。標的が見えているのに手が届かないというもどかしさが、この分野には30年以上にわたって漂っていた。
「分子の糊」で生存期間が2倍に
Revolution Medicines社が開発したダラクソンラシブは、「分子の糊」とも呼べる仕組みで複数のKRAS変異サブタイプに結合し、従来の化学療法を大きく上回る延命効果を示した。
NPRが報じた第3相試験の結果によると、転移性膵臓がんで既存治療に反応しなくなった500人の患者を無作為に振り分けたところ、ダラクソンラシブ群の生存期間中央値は13.2カ月だった。化学療法群の6.7カ月と比較すると、ほぼ2倍になる。この結果は世界的な医学誌『New England Journal of Medicine』に掲載され、2026年5月のASCO(米国臨床腫瘍学会)年次総会で発表された。
数字以上に注目すべきは、患者の生活の質だ。ダラクソンラシブ群は化学療法群より長く治療を続けることができ、痛みの軽減とQOL(生活の質)の維持が報告されている。データ解析時点でまだ服用を続けている患者も多く、治験に携わったUCLAのゼヴ・ウェインバーグ博士は「追跡を続ければ、生存期間の差はさらに広がる可能性がある」と述べた。主な副作用は発疹と口内炎で、重篤な副作用は化学療法より少なかった。
研究に関与していないアリゾナ大学がんセンターのラクナ・シュロフ博士は、ASCO会場で「膵臓がんを16年間治療してきたが、この結果を初めて見たとき、実際に涙が出た」と語っている。
KRAS攻略の先に広がる膵臓がん治療の新戦略
ダラクソンラシブの成功を足がかりに、KRAS変異のサブタイプ別治療やワクチン療法など、次世代の膵臓がん治療戦略がすでに動き始めている。
ダナファーバーがん研究所のブライアン・ウォルピン博士は、この薬が「既治療の転移性膵臓がんに対する新たな標準治療になるべきだ」と述べた。さらに重要なのは、より早い段階での投与も検討されている点だ。腫瘍が縮小すれば、これまで手術の対象外だった患者が外科治療を受けられるようになる可能性がある。米食品医薬品局(FDA)はすでに審査の迅速化を決め、一定の基準を満たす患者への「拡大アクセス」——未承認薬を条件付きで使える制度——も認めている。
KRAS標的薬の開発競争も加速している。Revolution Medicines社の薬が複数のKRASサブタイプに作用する「広域型」であるのに対し、特定のサブタイプだけを狙う薬剤も開発中だ。さらに先には、手術後の再発を防ぐためのワクチンも初期段階の試験に入っている。変異KRASタンパク質を免疫系に認識させ、がん細胞の再増殖を未然に防ぐという発想だ。
フレッドハッチンソンがんセンターのアンドリュー・コヴェラー博士は「この薬はまったく異なるメカニズムで効く」と評した。30年間滑らかな表面に阻まれてきた「創薬不能」の標的に、分子の糊がようやく足場を築いた。膵臓がん治療は、化学療法しか選べなかった時代を静かに抜け出しつつあるようだ。





