「生態系の恩恵」を数値化する困難
森林が空気を浄化し、湿地が水をろ過し、昆虫が食物を受粉する——自然が人間の健康を支えていることは広く知られている。しかし、その恩恵を具体的な数字で示すのは極めて難しかった。ヨーク大学の生態学者トーマス・ティンバーレイクは「生態系は複雑で雑然としている」と語る。生物多様性から人間の栄養状態へ明確な線を引くには、人々の食事を個々の作物にまで遡り、さらにその作物を支える花粉媒介者を特定するという気の遠くなる作業が必要だった。
ティンバーレイクらの研究チームは、ネパール農村部でその作業に挑んだ。776人の食事を1年間にわたって追跡し、週2回の家庭訪問で過去24時間の食事内容を聞き取った。同時に農場周辺の昆虫を調査し、どの虫がどの植物を訪れ、体にどれだけの花粉を付けているかまで記録したという。NPRが報じた研究成果は5月7日付の『Nature』に掲載された。
ビタミンAの2割、収入の44%
結果は明快だった。昆虫——とりわけ在来種のミツバチ——は、ビタミンE、ビタミンA、葉酸の総摂取量の20%以上を生み出す作物の受粉を担っていた。さらに農家の収入の44%が、花粉媒介昆虫に依存する作物から得られていることも判明した。
バーモント大学の生態学者テイラー・リケッツは「この影響の大きさには驚いた」と述べる。「誤差の範囲でも小さな効果でもない。人々を健康に保つうえで本当に重要な規模だ」。
ネパール農村部では人口の約4分の3が小規模農業に直接依存している。食べるものも収入源も、周囲の生態系と密接に結びついている。この近接性が、花粉媒介者の減少に対する脆弱さを生む。ネパールの一部地域では、気候変動・生息地の喪失・農薬使用により、在来ミツバチの個体数がこの10年ほどで約50%減少したとされる。
2030年までにビタミンA摂取が7%減少する可能性
研究チームの推計によると、昆虫の減少が現在の軌道で続けば、2030年までにビタミンAと葉酸の摂取量が約7%低下する可能性がある。ザンビアの国際トウモロコシ・小麦改良センターの農業経済学者ケルビン・ムルングは「生物多様性はミツバチや野生動物を救うためだけのものではない。最も脆弱な人々の利益のためにある」と指摘する。収入を促進し、栄養を促進し、健康を促進する——その連鎖が数字で裏付けられた意義は大きい。
この研究はネパール農村部を対象としたものだが、花粉媒介昆虫への依存は世界共通だ。先進国のスーパーで買い物をする消費者は、この連鎖を意識しにくい。しかし食料のサプライチェーンをたどれば、同じ構造が存在する。
野花を植えるだけで回復する
研究が示した最も前向きな知見は、損失が「可逆的」だという点だろう。野花を植えるといった比較的単純な行動で、花粉媒介昆虫の個体数を回復させ、栄養と収入への悪影響を逆転させられる可能性があると研究チームは報告している。
大規模なインフラ投資や技術革新ではなく、農地の周囲に花を増やすという素朴な介入が、ビタミン摂取と農家収入の両方を守りうる。ティンバーレイクらの研究は、生態系保全の議論に「栄養」と「所得」という具体的な通貨を与えた。次のステップは、この知見を他の地域で検証し、政策に組み込むことだろう。

