700万の企業アカウントが直面する「音楽の壁」
英国のDJ・プロデューサーNiminoが2026年3月にリリースした楽曲「Orla」は、TikTok上で約15万本の動画に使われた。注目すべきは、使用者の多くがアトレティコ・マドリードやメジャーリーグベースボールといった企業アカウントだった点だ。彼らはTikTokの「商用音楽ライブラリ(CML)」を通じて楽曲にアクセスし、Niminoには使用に応じた収益が支払われている。
一般ユーザーとは異なり、TikTokの企業アカウントはプラットフォームの汎用音楽ライブラリを自由に使えない。商用利用にはレコード会社(原盤権)とパブリッシャー(著作権)の双方から許諾を取る必要があり、中小企業にとってはコストも手間も現実的ではなかった。
「TikTok上のブランドの多くは、音楽の権利処理について知識すらない中小企業です」と、TikTokのグローバル音楽ビジネス開発責任者トレイシー・ガードナーはFast Companyの取材で語る。「仮に知っていたとしても、大手権利者に相手にされることはない」。
この壁を崩すためにTikTokが構築したのがCMLだ。当初はプロダクション・ミュージック(権利を一括管理する制作会社の楽曲)が中心だったが、2023年にワーナー・ミュージック・グループとの提携を拡大して以降、レーベル所属アーティストのポップやエレクトロニック楽曲が加わった。現在のライブラリは150万曲に達し、関連する権利者は1億2,500万にのぼる。
バイラル規模で再現される「シンク」の収益モデル
テレビドラマや映画に楽曲を提供する「シンク」は、アーティストにとって長年の重要な収入源だった。CMLは、そのシンクをバイラルの規模で再現する仕組みだと言える。
TikTokは支払い構造の詳細を公開していないが、権利者には定額ではなく、使用回数に応じた収益分配が行われるという。有料広告からの分配に加え、企業アカウントのオーガニック投稿からも収益が発生する。
英レーベルNinja Tuneの北米マネージングディレクター、マリー・クラウゼンの証言は具体的だ。同レーベルは5万4,000曲のカタログから2,500曲をCMLに登録し、「いまや確立されたストリーミング収入に匹敵する新しい収益源になった」と語る。CMLプレイリストに掲載されたエレクトロニック・デュオOdeszaの2017年の楽曲「Boy」は、TikTok Billboard Top 50にランクインした後、28日間でSpotify再生数が34%増、Apple Musicでは123%増を記録した。波及効果は米国にとどまらず、世界規模で観測されたという。
CMLの効果は意外な場所にまで及んでいる。「ブラジルで角の店を営んでいる誰かが、Thundercatの楽曲を使い始めている」とクラウゼンは言う。「仮にその人にリーチできたとしても、小規模アカウントと個別にライセンス契約を結ぶのは現実的ではない。TikTokがそれを仲介してくれる」。
権利処理の自動化が市場を広げる
CMLの拡大にともない、楽曲の権利が複数者に分散する複雑なケースが増えてきた。レコーディング権、作詞権、作曲権がそれぞれ異なる権利者に帰属する場合、既存の包括契約だけでは対応しきれない。
この課題を解決するため、TikTokはスタートアップのChordalと提携し、権利処理ツール「InstantClear」を導入した。権利者がオンラインで事前に商用利用を許諾し、ロイヤリティ支払いを自動化するプラットフォームだ。TikTokの商用ライセンス責任者ベン・ヒューストンは、「たとえば包括契約のない3つの異なるパブリッシャーが関わる楽曲をレーベルから受け取った場合、Chordalが間に入る」と説明する。
2025年7月の提携発表以降、5万4,000の権利者がInstantClearを通じて商用利用を承認し、2万曲がCMLに追加された。Chordal創業者のグレイソン・サンダースによれば、複数の権利者がすでに10万ドル以上の収入を得ており、追加された楽曲の18%が収益を生んでいるという。
レーベルの契約判断まで変わり始めた
CMLの影響は既存カタログの収益化にとどまらない。Ninja Tuneのクラウゼンは、新人アーティストとの契約を検討する段階で「CMLの候補になるか」「権利処理にどれだけ手間がかかるか」を確認し始めたと明かす。バックカタログだけでなく新曲もCMLに投入し、バイラルの「フライホイール効果」を回すことを目指している。
独立系レーベルAnsatz Music Groupの創業者エリック・フリッチも、その効果を実感している一人だ。ドイツのバンドMilky Chanceの楽曲「Naked and Alive」をブランド向けに「OK I Like It」とリネームしてCMLに登録したところ、100万本以上の動画に使われ、再生回数は100億回に達した。「CMLのおかげで、年間のTikTok視聴回数が数億回から数十億回に跳ね上がった」とフリッチは言う。新曲のプロモーション中に、過去のリミックスが1日数万本の新規動画に使われる連鎖も起きているという。
「TikTok CMLは、私にとってナンバーワンの収益ドライバーになった」とフリッチは語る。「その収益をストリーミングのマーケティングやコンテンツ制作、アーティストへの投資に回している」。ブラジルの路面店からメジャーリーグまで、バイラルが生む「マイクロ・シンク」の収益循環は、まだ回り始めたばかりかもしれない。





