一夜で現れた「盲目の愛国者」
4月30日の早朝、ロンドンのウォータールー・プレイスに見慣れない彫刻が立っていた。スーツ姿の男が大きな旗を高々と掲げている。だが旗の布は男の顔を完全に覆い、足元も見えないまま台座の縁から一歩を踏み出そうとしている。地面はない。
翌日、バンクシーの公式 Instagram に制作過程の動画が投稿され、本人の作品であることが確認された。動画の BGM はエルガーの「威風堂々」第1番——英国王エドワード7世の戴冠式で演奏された曲だ。動画の最後には、通行人が「こんなもの嫌いだ」と吐き捨てる場面が残されている。
タイミングという「署名」
彫刻の設置は、チャールズ国王がワシントンを公式訪問し、米議会で NATO の重要性を訴えた週と重なる。バンクシーが政治的タイミングを計算に入れることは過去作でも知られており、偶然とは考えにくいだろう。
設置場所も意味深い。ウォータールー・プレイスにはエドワード7世とフローレンス・ナイチンゲールの英雄的な像が並ぶ。その隣に「旗で目を塞がれた男」を置くことで、愛国的シンボルへの批評が視覚的に成立する。許可の有無は不明だが、ロンドン市長サディク・カーンの代理人はニューヨーク・タイムズへのメールで「バンクシーは多様な人々にモダンアートを楽しませる力がある」と好意的な姿勢を示した。
ストリートから台座へ——変わる手法
バンクシーといえばステンシルによる壁画が代名詞だった。2024年夏にはロンドン各地に動物モチーフの作品を毎日出現させるシリーズを展開している。だが今回は彫刻という、より恒久的で物理的に撤去しにくい形式を選んだ。
昨年9月には、王立裁判所の壁に描いたカツラの裁判官がガベルで抗議者を殴る壁画が、設置わずか2日で消されている。今回、ウェストミンスター市議会は「撤去の予定はない」と声明を出し、保護措置を取ったうえで一般公開を続けると表明した。壁画なら塗りつぶせるが、台座に据えられた彫刻は街の風景に溶け込む。手法の変化は、作品の寿命に対する戦略とも読める。
「見えないまま歩く」問いの普遍性
旗に目を塞がれながら踏み出す男の姿は、特定の国や政党に限定されない。愛国心、忠誠心、あるいはイデオロギーへの没入が視野を狭める——という構図は、どの文化圏の観客にも刺さりうる普遍的なイメージだ。ウェストミンスター市議会が「活気ある公共アートシーンへの印象的な追加」と歓迎したように、この彫刻はしばらくロンドンの街角で議論を生み続けることになる。バンクシーが次に選ぶ「台座」がどこになるのか、世界中のファンはすでに推測を始めているようだ。

