「脳に電極を埋め込んだ人」は、1998年から2023年までの四半世紀でわずか67人だった。それが2024年以降のたった2年で倍増し、いまや世界で約150人に達している。
ALS患者ケイシー・ハレルが取り戻した「声」
ALS(筋萎縮性側索硬化症)で全身が麻痺し、話す力を失ったケイシー・ハレルは、脳インプラント(BCI=脳と機械を直接つなぐ装置)を使って自分の言葉を取り戻した最初の「ヘビーユーザー」だ。2023年7月の手術以来、約3年にわたり装置で「会話」し、気候活動家としての仕事も続けている。
ハレルはもともと、気候変動と闘う活動家だった。ALSの進行で声を失い、装置なしでは意味の通る発話ができない。ところが脳に埋め込んだ電極が、彼の「話そうとする意図」を読み取り、合成音声として外に出す。これによって彼は収入を保ち、離れていた友人や家族とのつながりを取り戻し、娘に本を読み聞かせられるようになった。
カリフォルニア大学デービス校(UC Davis)の研究チームは、手術後も装置の精度を高め、機能を追加してきた。なかにはプライバシーモードや、うっかり悪態をつかないための「悪態フィルター」もある。娘と話すときに不意の罵り言葉が漏れない、という細やかな配慮だ。ハレル自身はこの装置を「革命的としか言いようがない」と語ったという。
「プラグを挿す脳」、装置はどう動くのか
BCIは脳の電気信号を読み取り、コンピューターがそれを解読して意図を出力する装置だ。ハレルの場合、脳内に埋め込まれた電極が頭頂部の差込口につながり、ソフトウェアが信号を音素(言葉を構成する音の単位)に変換して、彼が言いたいことを予測する。
発話の前には、視線追跡装置で誤りを直してから声を再生する仕組みになっている。ただしBCIと一口に言っても形はさまざまだ。ハレルのように外部とケーブルでつなぐタイプもあれば、体内に完全に収めた無線式もある。脳の表面に電極を置くだけのもの、電極の付いた帽子をかぶるだけの低侵襲(体への負担が小さい)なものまである。
ここにはトレードオフがある。読み取りたい神経細胞に近づくほど信号は鮮明になるが、手術が侵襲的になるほど合併症のリスクは高まる。用途も一様ではない。ハレルのALSとは違い、現在使われているBCIの多くは脊髄を損傷した人の脳に入っている。手足は動かせなくても顔や発話は無事という場合、装置は車いすなどの操作を助ける方向に使われる。
なぜいま、臨床試験が世界で急増しているのか
技術の進歩と企業の相次ぐ参入で、被験者の数が一気に膨らんでいるためだ。米テクノロジー誌『MIT Technology Review』の報道によると、2026年には中国が世界で初めてBCIを医療用として承認した。
数字がこの勢いを裏づける。1998年から2023年末までの試験を集計した2024年の論文では、21の研究グループが計67人にBCIを試したにすぎなかった。それがいまや約150人へと倍以上に増えた、とユトレヒト大学医療センターの研究者マリスカ・ファンステーンセルは見積もる。
顔ぶれも厚みを増している。イーロン・マスクが創業したニューラリンクは、過去2年で21人に装置を埋め込んだと1月に発表した。シンクロンは北米とオーストラリアで試験を進め、上海のニューラクルは2024年11月から治験を続けたのち、臨床試験の枠外での使用承認を得た。ニューラリンクの元共同開発者が立ち上げたプレシジョン・ニューロサイエンスも、脳の表面に載せる方式で試験を走らせている。一方で、ハレルのチームが属するブレインゲートのように、20年にわたり地道に続く学術プロジェクトもある。
「2年後に、また報告する」
答えを出すのはまだ早い。だが研究者たちは、被験者の協力を得ながら一歩ずつ前へ進んでいる。ハレルは自らを、研究に「恩送り」をしながら自分も恩恵を受ける一人だと表現する。
実際、彼が手にしたものは小さくない。途絶えていた収入、再びつながった人間関係、そして娘に語りかける声が、装置の動くかぎり彼の手元にある。研究を率いた著者は、記事の最後にこう約束した。2年後に、その後の試験がどこまで来たかをまた報告する、と。
娘に本を読み聞かせる父の声と、その一語を支える電極が、いま世界で約150人の脳に静かに根を下ろしつつあるのかもしれない。





