2026/05/25
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台湾系米弁護士が朝鮮戦争を小説化、「忘れられた戦争」の女性たちを描く

台湾系米弁護士が朝鮮戦争を小説化、「忘れられた戦争」の女性たちを描く

敵地に残された記者と、娘を探す母

小説の主人公エリー・チャンは、中国系米国人の女性従軍記者だ。朝鮮戦争の最前線で女性たちの声を拾い続けてきた彼女だが、記者会見からは排除され、白人男性の同僚たちに与えられる取材機会は回ってこない。業を煮やしたエリーは負傷兵を運ぶ軍用機に飛び乗るが、その機は北朝鮮領内で撃墜されてしまう。

エリーを救ったのは、ムン・ファジャという北朝鮮の女性だった。ファジャは兵士たちの前でエリーを「行方不明の娘ユンヒ」だと主張し、かくまう。ユンヒは14歳のとき、日本統治下の朝鮮で徴用された少女だ。ファジャは娘が日本軍の「慰安所」に送られたのではないかと恐れながらも、死んだとは認めようとしない。NPRの書評によると、著者チャンはジェンダー平等を専門とする人権弁護士であり、米国の教科書がほとんど扱わない朝鮮戦争の側面——戦時性暴力、民間人への大規模爆撃——を綿密な調査に基づいて描いたという。

「慰安婦」ではなく「奴隷」——言葉が記憶を形づくる

小説の中でファジャは、娘たちを「慰安婦」とは決して呼ばない。「奴隷だ」と言い切る。第二次世界大戦中、日本帝国陸軍は朝鮮・台湾・フィリピンなどの植民地から女性を集め、「慰安所」と呼ばれる施設に送り込んだ。チャンはこの制度を婉曲表現で覆い隠すことを拒む。一方で主人公エリーでさえ、対話の中で「レイプ」という直接的な言葉を避けてしまう場面があり、性暴力を名指しすることの難しさが浮かび上がる。

チャンは1991年に自らの被害を公に証言した金学順(キム・ハクスン)にも触れている。金学順の証言は、他の被害者たちが声を上げる道を切り開いた歴史的な転換点だった。名前にも力がある。ファジャは兵士たちの前で自分を「オンマ(お母さん)」と名乗るが、エリーはそれを英語の「エマ」と聞き間違える。ほとんど母のような存在、でも母ではない。やがてファジャはエリーに韓国名「ウナ(銀河)」を与える。果てしなく美しく、夢のようなもの——それがこの名の意味だという。ほとんど娘のような存在、でも娘ではない。この「ほとんど、でも違う」という距離感が、小説全体を貫く通奏低音となっている。

爆弾が「味方」から降ってくるとき

エリーが北朝鮮の人々と過ごす時間が長くなるにつれ、「敵」と「味方」の線引きは溶け始める。平壌に潜伏する米国人の彼女にとって、頭上から降る爆弾はまだ「味方」のものだろうか。ソウルから日本へ逃れようとするとき、自分たちに向かってくる照明弾はまだ「敵」のものか。チャンはこうした問いを、説教ではなく主人公の身体的な恐怖を通じて読者に突きつける。

朝鮮戦争は第二次世界大戦とベトナム戦争に挟まれ、米国の歴史教育でも扱いが薄い。だがチャンの小説は、忘却の構造そのものに切り込もうとしている。戦争をどう語るかが、何を記憶し何を忘れるかを決めるとすれば、語られなかった声を拾い直す行為は、過去だけでなく現在にも届く力を持つだろう。

「語り直す」ことが開く回路

世界各地で紛争が続く2026年にこの小説が刊行された意味は小さくない。「慰安婦」と呼ぶか「性奴隷」と呼ぶか、「紛争」と呼ぶか「ジェノサイド」と呼ぶか——言葉の選択が次の世代の記憶を左右する。チャンが人権弁護士として培った視座は、歴史小説にありがちな感傷を退け、読者に静かな問いを手渡す。

エリーは従軍記者として、砲火の中でも人々の物語を集め続けた。フィクションの中の記者が記録した声は、現実の読者が「忘れられた戦争」を思い出すための回路になりうる。敵地で娘を探し続けた母と、ペンを握り続けた記者——チャンが紡いだ二人の声が、70年以上忘れられてきた記憶を、静かに書き換えていくかもしれない。