2026/06/04
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メアリー・ビアード新刊『Talking Classics』。4000年前のパンが古典学者の人生を変えた

メアリー・ビアード新刊『Talking Classics』。4000年前のパンが古典学者の人生を変えた

『Talking Classics』は、英国の著名な古典学者メアリー・ビアードが2023年にシカゴ大学で行った4回の講義をもとにした新刊だ。数百万人の読者とテレビ視聴者を持つビアードが、「古代にいたらどんな感覚か」という問いに挑む。

4000年前のパンが少女の目を開いた

1960年、イングランドの村で育った少女は、母に連れられて初めて大英博物館を訪れた。ミイラではなく日用品の展示ケースに釘付けになった少女の目の前で、学芸員がポケットから鍵を取り出し、4000年前のパンを差し出した。

メアリー・ビアードはこの体験を、古代ギリシャ語で「驚嘆」を意味する「タウマ」と呼ぶ。ビアードはメデイアの夫を「卑劣漢」と評し、「敬虔な崇拝をもう少し下げよう」と読者に呼びかける型破りな古典学者だ。学界で長く敬遠されてきた「古代にいたらどんな感覚か」という問いを、本書では真正面に据えている。

古代ローマの人々は自分の顔すら知らなかった

古代世界は、私たちが想像するよりはるかに「異質」だった。ビアードが本書で強調するのは、古代の人々の多くが自分の顔を見たことがなかったという事実だ。

水面に揺れる姿か、磨いた青銅に映る鈍い輪郭。それが古代人の「自己像」のすべてだった。人違いを題材にした笑い話が古代に多いのも当然だとビアードは指摘する。身体、自己、家族という最も基本的な概念が、現代とはまるで異なる土台の上に組み立てられていた。

同時にビアードは、古典の持つ「破壊的な力」にも目を向ける。古典に深い素養を持っていた人物として、カール・マルクスやネルソン・マンデラの名を挙げた。ムッソリーニが古典建築を権力の象徴として利用した一方で、同じ古典が解放運動の知的基盤にもなっている。古典学は権威にも反権威にもなりうる。この二面性を直視することが、ビアードにとって誠実な学問の条件だ。

「難しいものを読む力」がいま最も必要とされている

古典学を学ぶ究極の意義は何か。ビアードの答えは、同僚から聞いた一言に凝縮される。「難しいものを読む力を身につけること」だ。

フェイクニュース、陰謀論、事実の歪曲が日常化した現代において、この力は世界が最も必要としているスキルだとビアードは断言する。古代のテキストと格闘し、文脈を読み解き、異なる時代の視点を引き受ける訓練は、現代の情報リテラシーと地続きだ。

ビアードの古典学は「敬虔な崇拝」ではなく「タウマ(驚嘆)」から始まる。大英博物館で4000年前のパンを目の前に差し出されたあの瞬間のように、古代と現代を隔てるケースは、まだ開けられるのかもしれない。